行者の道  
                        大峰 大普賢岳と山上ヶ岳      理源大師 聖宝像(832年~909年)      

 我が国の一般の人々にとって、山というものに対する考え方や接し方は、大略、古来から特別な変様はないように思われます。

 平野部が少なくそのほとんどが山岳地帯ともいえる国土は、本来ならば沿岸海洋資源以外には容易に糧を得られる地形ではないのですが、その温暖で多雨な気候が、地域差があるとはいえ、狩猟、採取、農耕の何れにも適した豊潤な生活環境をつくりだしているようです。

この生活に即した山は、天から与えられた恩恵であり、ある程度の気象変動によってその授かる量の変転については甘受してきたものです。また、その自然現象や、深山幽谷の雰囲気に神気を感じとり、人知人力の及ばぬ世界に畏敬の念を抱いたのは、自然発生的な人の感情ではないでしょうか。
それゆえ、日本の山と人との関係は、巨大な氷河や険峻な岩山を持つ欧州アルプス地方の人々のように、最初は恐れ、忌避し、近代スポーツアルピニズムの発達にともない、挑戦し、征服し、屈服せしめる対象とはなり得なかったわけです。

 では、日本の中世に現れてその宗教指導者としての活躍や、人々に敬虔で穏やかな心性を発現させんとした、修験者、行者たちの山とのかかわりはどういうものだったのでしょうか。
伝来仏教を透徹した教理とその実践により確立させた真言密教の祖、弘法大師空海。
それ以前の奈良時代、それまでの山岳信仰としての神教を仏教的基盤のうえで追究し、修験道としての道を切り開いた役行者。
この衆知高名な方々に代表されますように彼らには、何故、修行の舞台が山岳で、何故、それを必要としたのかは、宗教的意義研究を別として、私のようなかたちで山を生きがいのひとつとする者には興味のつきないところであります。

 私の住居します関西は、金剛葛城山系や大峰山系などに代表されますように、深い渓谷や急峻な山岳が広範囲にひろがり、古来から行者たちに修行の場を与え、近代では登山愛好者の絶好のフィールドとなっているわけです。
とくに、行者たちは好んで悪絶な懸崖や深い渓谷にその身をさらし、その修行によって己が道をその心中に導き出さんとするもののようでありますが、はたからみれば何がいいんだろうとは思わないまでも、「ご苦労様ですね」との感想とともに、「私はあまりやりたくないね」との心証を持つのが、私のように世の憂さをアルコールで始末する人間の不遜な感情ではないでしょうか。
しかし、それはちょうど、私たち登山家が岩登りに熱中している姿を見て、「まあ、なんであんな危ないことを好きこのんで」と言葉をもらす、一般の方々の心境に近いものがあるような気がします。

 岩登りが近年のスポーツクライミングの隆盛により、世間様の多少の理解は得られるようになってきたとはいえ、まだその両者への世の中の認識の違いは大きいようです。
つまり、前者は多少なりとも尊敬の念を心の片隅にでも抱かせるのに対して、後者はあまり前向きな賛同を得られていないようです。これは、人間の持って生まれた原初的な宗教心や、その宗教心のあるなしにかかわらず、天上の神仏を忌避してはならないという社会的タブーも影響しているとは思いますが、実のところは、クライマーという人種は決して純粋な心根の持ち主ばかりではないということを、世間様が直感的に見破っているのではないかとの思いもあります。

 さて、その行者たちは、本当にその宗教心だけであの過酷な修行を長年つづけられるものでしょうか。
純粋な発心からその悟性をいかんなく発揮し、究極の教理を自得された前述の偉大な宗教家は別として、やはり人間の持つ業からは修行の体現だけでは容易に解脱できないのがほんとうではないでしょうか。
その心象の維持には莫大なエネルギーも必要でしょう。
宗教心は別として、私はやはり彼らは単純に山が好きであった。または山の中に身を置いておくのが好きであったと理解する他はありません。
それは、我が国の豊かな山岳が、生活の糧以外に心の糧をこの国の人々にあたえ続けているおかげでしょう。 
我々登山家も、自己完成の手段と称して現世利益を追求するばかりでなく、昔の行者のように、時には殊勝な気持ちを持ちたいものと思います。   

     

         大峰 釈迦ヶ岳山頂                  熊野 天狗鍛冶行者屋敷跡


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